株式会社 miyama

株式会社 miyama
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miyamaの歴史

狸小路9丁目にあった、旅館「深山荘」

株式会社miyamaは、狸小路9丁目(札幌市中央区南3条西9丁目)にあった、旅館『深山荘』から始まっています。

戦前に賃貸しのアパートで出発し、戦後の27年にオープン。

名前は当時のご主人・川端さんのお父さんが、地歌(=江戸時代に西日本で行われた三味線音楽)の名曲「御山獅子(みやまじし)」から取ったという記録があります。創業者の苗字が由来ではありません。

「御山」とは伊勢の神路山のこと。この曲は伊勢の四季や情景を歌っており歌詞もたいへん美しい。曲が進むにつれて三絃の調絃が本調子から二上がり、そして三下がりへと雰囲気が変わってゆくのが特徴。軽妙な囃子で獅子舞風を加えておりこのなはなやかさが好まれ、お祝いの席で演奏されることが多い曲とのことなので、縁起を担いでこの名前を選んだのではないでしょうか。(御山獅子を聞く

なぜ「深山」という漢字をあてたかが疑問に残るところですが、都山流の尺八本曲「深山の暁(みねのつき)」から取ったという説もあるようです。(深山の暁を聞く

しかし今はもう知るすべはありません。

深山観光 設立、そしてmiyamaへ

昭和61年頃の狸小路9丁目(右手に深山荘)

昭和36年9月に札幌の旅館業と旭川市内での不動産賃貸管理業のため、「深山観光」(本店 旭川市1条通12丁目)として設立されます。

昭和36年(1961年)というと、米大統領にジョン・F・ケネディが就任、坂本九の「上を向いて歩こう」がヒットした年。札幌では、札幌市が豊平町と合併し人口が約62.1万人になり、札幌市民交響楽団(札幌交響楽団)が結成されました。

その後、M&Aにより現在の代表者へ変更され、社名はローマ字表記の「miyama」となります。

札幌支店は現在の所在地へ移転されましたが、偶然にもその場所は狸小路から1分足らずのところであり、やはり狸小路に深い縁を感じます。

miyamaの原点は、戦前から続く賃貸業にありました。その歴史は「あんしん賃貸管理」の理念に刻まれています。

miyamaの会社概要・沿革はこちら

狸小路を知る

現在の狸小路

「狸小路」は北海道で最古の商店街の一つで、今年142年を迎えました。
札幌の中心部を東西約1キロにわたって(札幌市中央区南3条西1丁目から西10丁目)、約200軒の店舗が軒を並べる全蓋アーケードを持つ商店街です。

発祥は開拓使時代の1869(明治2)年、明治政府が「北海道開拓使」を札幌に置いたころ、現在の狸小路2・3丁目周辺に商家や飲食店が建ち並び始め、明治6年頃にその一角が「狸小路」と呼ばれるようになりました。その名称の由来は、実際に狸が出没したこと、夜な夜な街頭に立つ客引や夜の女たちをその怪しさや手口から狸に例えているという説があるようです。

狸小路 今昔物語

さっぽろ文庫「狸小路」という書籍から「深山荘」界隈の歴史を紐解いてみましょう。
昭和61年3月に発行された本で、この界隈について解説された数少ない資料といえます。

さっぽろ文庫「狸小路」

「しら菊」まで、引き揚げ者のバラック住宅として建てられた。間口は一間半、奥行きは二間ほど。五人家族以下しか入居できなかった。当時から現在まで同じ場所で店舗を構えているのは、「南京飯店」のみ。当時から世話人をつとめる主人はこう語る。

----戦後まもなく札幌市は、引き揚げ者対策の一環として「中央寺」(南六西二)そばの新善光寺を指定した。しかし、道路では永住権がないと、自分たちで探したのが九丁目。当時は一坪八円の地代を二〇円払うから貸して欲しいと交渉。契約後、大工さんを頼んで配線工事まで行い、一軒一万二五〇〇円で入居者に賃貸し、日銭で払ってもらい、払い終えた人から登記してあげました----。

また、整備されていない道路を、これを機会に北側の軒並みをそろえて道路を拡張。自分たちで銭湯から譲り受けた石炭ガラを使用して、道路を造った。出っ張っていた「お米の井上」が、町内のために引っ込んだといういきさつもある。さらにそれまで行き止まりで、道路のなかった一〇丁目も、同じく町内の人たちの勤労奉仕によって道路がつけられた。しかし、雨が降ると大変な悪路で、市がみかねて、アスファルト舗装したのは昭和二十六年のことだった。

さっぽろ文庫「狸小路」発刊当時の周辺地図

こうして、道路と住宅ができ、バラック住宅の入居者たちが生計をたてるためにそれぞれ店を始め、やがて昭和三十年前後には「小ススキノ」といわれるほどの歓楽街が形成されていったのである。

前述の「南京飯店」は、昭和二十一年開店で、当初は「南京屋」という青果店だった。美味しいロースー麺を目玉にこの道三十数年の調理師・森さんは、同五十五年、勲六等単光旭日章を受賞している。旅館「深山荘」は戦前に賃貸しのアパートで出発、戦後の二十七年にオープン。名前は現主人・川端さんの実父が、尺八の大曲「深山獅子」からとった。狸小路では戦前・戦後を通して唯一軒の米屋「お米の井上」は、九・一〇丁目町内会の会長をつとめた井上さんが、昭和二十年頃、現東栄劇場の場所から移転して開いた。

今はかつての面影がない「ぎおん小路」は、昭和三十四年頃、居酒屋「ぎおん」の女主人・三輪さんが名づけた。鳥居式のネオン街灯もつけられ、二列平行の華やかな小路だったという。

さっぽろ文庫「狸小路」(札幌市・札幌市教育委員会 刊/昭和61年3月発行)より抜粋、転載。

アーケードのない狸小路

狸小路は7丁目でアーケードの形状が少々古風な屋根となり雰囲気が変わりますが、8丁目までくるとアーケードもなくなります。札幌市民でも狸小路は7丁目までと思っている人も少なくないようですが、8~10丁目もレッキとした狸小路。

古い建物が賃貸マンションや駐車場に変わったりと様変わりはしていますが、昔ながらのお店も健在で、昭和情緒を漂わせる雰囲気が魅力です。実は新しいショップや個性派の路面店も点在しており、『アーケードのない狸小路』は意外な穴場エリアといえます。

  • 狸小路は7丁目でアーケードが途切れます。

  • 狸小路8丁目には、オリジナルの革鞄を作る工房「日下公司」。この並びにはカラフルな電球の灯りが目を引く「照明のサイトー」など。

  • 狸小路9丁目にある「三角山五衛門ラーメン」は、大泉洋主演の映画「探偵はBARにいる」のロケ地にもなった人気店

  • 狸小路9丁目にある、「すし処 しら菊」はカウンターが7席だけの小さなお寿司屋さんです。なんとお店の間口は、わずか2.9mほどです。

  • 深山荘の跡に建った「ホテル テトラスピリット札幌」

  • 狸小路10丁目にある「金富士」は、古くからあるとにかく安い大衆酒場です。アルコールを注文しない客は追い出されるらしいです。

  • 狸小路10丁目、かつて「小ススキノ」と称されたこの界隈。「ひょうたん横丁」が健在です。

  • 狸小路10丁目にある「河童鮨」は、食べ応えのあるボリュームが評判。リーズナブルなランチメニューも人気です。

あとがき

狸小路の歴史を探るにあたり、様々な資料や書籍を参考にさせていただきました。狸小路の発祥は明治6年と言われており、北海道開拓の歴史、札幌の発展と共に歩んできた言っても過言ではありません。関連の書籍も数多く出版されており資料も豊富に存在しておりますが、残念ながら「深山荘」のあった狸小路9丁目界隈の資料は皆無といった状況で苦戦いたしました。

歴史のある狸小路の中で9・10丁目は戦後にやっと切り拓かれた商店街であること、また「狸小路商店街組合」に加盟したことがないというのが要因のひとつでもありました。

幸いに、さっぽろ文庫「狸小路」(札幌市・札幌市教育委員会 刊)という書籍に出会い、貴重な情報を得ることができました。また、地域の方々に取材に快く応じていただき、生の声で当時のことをお聞かせいただきました。この場であらためて厚くお礼申し上げます。

2017年7月
株式会社miyama 賃貸企画室